「障害を武器にする」よりも「障害を武器にしない」ことのほうが武器になる

まるみえ星人です。


「あなたの障害は個性なんだから、それをもっと武器にしていきなさい。」


障害者ならみんな、人生で一度や二度は聞き覚えのあるセリフじゃないでしょうか。


これ、間違ってると思うんですよね。間違ってるというより、アドバイスとしても戦略としてもあまり良くない。

別に有名人になれって意味で言ってるわけじゃないと思うんですが、何かそれ逆にハードル高いよって感じなわけです。



ぼくは字を書いたりキーボードを打ったりとか、色んな動作を足の指で行うんですが、最初は練習のため、幼少の頃からずっと足で絵を描いてたんですね。

そのうち絵を描くことが好きになって、好き勝手に色々描いてると「すごい!」「画家になれる!」とか大人が騒ぎ出すわけです。

まあ、確かに小学生にしてはかなりうまいほうだったと思うんですが、「いや、そこまでか...?」と疑問に思うところもあったわけですが、

描くこと自体は好きだし、みんなから褒められるし、専属で美術の先生がついたり、なんかしょぼい賞とかもたくさんもらえるし、まあ悪い気はしませんよね。


でも、小学校も高学年くらいになると「いや、そこまでか...?」という疑問が再度、沸々と湧いてきたんですね。

なんでかっていうと他の同学年の子の授賞した作品とかみてると、どうみてもぼくの描くものより彼らの作品のほうが魅力的なような気がしてきたんです。

でも、それだけだとぼくが単に謙虚で自分の才能を過小評価してるともいえますよね。

そこでぼくは、自分の絵を褒めてくれる大人の人達が具体的にどう評価してるのか、意識して聞くようになりました。

すると、なんということでしょう。

ほぼ全ての人が「足で描いたの?すごい!」しか言ってないじゃありませんか。

誰も「よい絵だね」とか「色使いが素晴らしい」とかそういった他の子にある評価がぼくには一切なかったんですよね。

「ここをもっとこうしたほうがいい」とかそういうのもないんですよね。

つまりほとんど誰も絵自体は見てなくて、足で描いたということのみを評価してるわけです。


トラウマってほどでもないですけど、それってなんかやっぱヘコむじゃないですか。

そういう事実に気づく内に「なんか楽しくねー」とか思っちゃって、描くこと自体がおっくうになってったんですよね。



評価軸に「障害者である」が付加されると、本人からすると確かにそこを含めて自分ではあるんだけど...っていう微妙なジレンマが生まれる。

裏を返せば、それ以外評価すべきところがないよねとも受け取れるわけです。

実際ぼくの絵とかはそうだったんだと思うんですけど。

今にして思えば、芸術の評価っていうものはそういう面があるってことは理解してますけど、やっぱ小学生には酷じゃないかなと思うわけです。


周りは別に悪気があってそう言ってるわけじゃないし、むしろ応援してくれてるんでしょうけど、ぼくからしたらすごいつまんないんです。

いや、それでめちゃくちゃ売れるとかだったら別に全然我慢できますけど、やっぱそんな甘くないですからね。


でも多分、あのまま続けててそれなりに技術があがって才能が開花したとしても、自分は「まあ、どうせ足で描いたからだし」みたいなくすぶりをずっと抱えてたんじゃないかなーと。

まー「そのくすぶりも含めてあなたの個性よ!」とか言われたら、もはやどうしようもないんですけど。



ぼくは今フリーランス、シャレオツに言えばノマド的な形でWeb関連の仕事をしていますが、そういう職業を選択したのは上記のような理由で判断されるのが嫌だったからなんですね。

(車椅子を受け入れてくれる会社を探すのに時間とコストをかけるより、自分でやったほうが手っ取り早いっていうのもあったんですけど、それについてはまた書きます。)

ネットだと物理的なハードルはかなりクリア出来るので、自分から言わない限りは、障害者であることはわからないですよね。


「障害者がやってる」ことを出すことで生まれる仕事もあったとは思うんですが、

自分のやってる内容だけをみて評価されないと、ある程度長い目でみた場合、仕事としては成り立ちにくいと思ったんですよね。

何より自分のモチベーションというかやる気も続かないと思ったし。



仕事にせよ何にせよ、障害者であることを意識せず(といっても難しいっちゃ難しいのですが)、自分の中で切り分けて、

自分の好きなこと、やりたいことのクオリティをあげてったほうが、楽しいし色んなことにつながりやすいって話です。

その手段として、ネットっていうのはすごい便利だなと思うし、活用していくべきだなと思うわけです。ムカつくやつ多いけど。

たとえそれが失敗したとしても、言い方は悪いですが、下駄をはかされない状況で何かをやってみるってことは良い経験になる。

もちろん障害の内容によっては難しい場合もあると思うのですが、身体の障害であれば、やってみて損はないかなと。



そういった積み重ねの先に、本当の意味で、障害が個性として昇華される時がくるかもしれないような気がしてます。