「障害者も健常者も同じ人間」という過剰な意識がもたらす偏見

エアコン買い換えたい。


まるみえ星人です。


さて、前回の記事がきっかけでコメント欄がかなり白熱しておりました。

ざっくり言うと、コーコーセーの友達さんが書いたコメントに対してaaさんという方が異議を唱え、aa氏が総スカンを食らっているという流れです。


詳細はコメント欄を読んで頂くことにして、ぼくは今回aa氏に対しての意見を書いてみることにしました。

aa氏が言ってることは主にこの4つです。

  • みんな自分の意見を物の言い方だけで判断している。
  • 人はみな生まれたときから平等であるべき。健常も先天も後天も関係ない。
  • 後天性の障害者であるコーコーセーの友達さんの一連のコメントは先天の障害者を見下している。
  • まるみえ星人はコーコーセーの友達に見下されているのに気付いていない。もっと自分に自信を持って前向きに生きて。


まず、aa氏は「物の言い方だけで判断するのはよくない」といった趣旨のことを何度も発言していますが、これはそうだと思います。

オブラートに包んで意図が伝わりにくくなるくらいであれば、断定的にストレートな物言いをしたほうがわかりやすい、というやり方は別に良いです。

その点については同意しますし、言葉遣いや表現の仕方を非難するつもりもありません。


aa氏が間違っているのはそこではありません。

というか正しいのはそこのみであとは全部ダメです。


aa氏が総スカンを食らっているのは、障害者を自分の中のフィクションだけを元に語っているからなんですね。

数少ないサンプルをもとにつくりあげた「障害者のイメージ」のみで考えるから、身も蓋もない一見すると正論っぽいことしか言えてないのです。

自分、もしくは社会が理想としている障害者像を押し付け、それにそぐわない言動、考えに対して糾弾しているだけです。

つまりaa氏こそ、障害者に対してかなりの偏見をもっています。


そしてaa氏は障害者は生きる上で苦労や苦しみがあることを認識しながら、

障害に対して苦悩しながら自分がどう生きていくか悩んでる後天の障害者に対しては


「あなたが言ってることは先天の人の気持ちを考えない差別発言です。もっと相手の気持ちを考えて前向きに受け入れてください。」


と言ってます。

論理もへったくれもありません。


あまりにも馬鹿らしいので、別の会話に置き換えてみます。


「みんな宇宙からみたら金持ちも貧乏も同じ地球人なんだから貧乏で苦しいからってご飯食べたいとかいっちゃダメ!もっと食べれない人の気持ちも考えて前向きに!!ピース!!」

と言ってくる人間に対して

「うん、それはそうだね。それはわかるんですけど、お腹は減るんですけどどうしたらいいですか?」

としか答えようがないのですが、aa氏は更に

「減ったと思ってはダメ!あなたよりもっとお腹空いてる人は確実にいるの!どうにか受け入れて前向きにがんばって!地球は1つなの!!」

としか言ってません。極めつけは腹は減るからどうにか食べる方法考えなきゃなーと言ってるぼくを見つけて

「ほら!あの人はずっと貧乏で食べてこられなかったのよ!あなたは何!少々お腹が空いたからって!我慢しなさい!愛のバイブスよ!!!」

「ほら!あなたも食べる方法ばっか考えてないで、あなたのほうがずっと貧乏だったのに、ここにお腹すいたなんてわがまま言ってる子がいるのよ!」

「あなたは何とも思わないの!?あなた馬鹿にされてるわよ!最低!わたしは貧乏だけどがんばってる人を知ってるのよ!地球は1つなの!!」

「え?金持ちはいいなですって?金持ちはあなたを馬鹿になんてしてないわ!あなたは金持ちなど気にせずもっと貧乏な人がいるのをみて自分の貧乏を受け入れなさい!だって地球は1つなの!!!」

などと言ってきてるわけです。

教師とかでこういうタイプいますよね。



シンプルに言えば、障害の辛さを単に時間の長さや重さのみで計ろうとしています。

また障害の重さ(状態)というのは、ある程度相対化できますが、障害を受けたことの辛さは結局は自分の中にしか生まれないものです。

外からみる辛いと思う部分と、自分が感じる辛さというのは結構ギャップがあるんじゃないかと思います。

簡単に他者と比較して「あなたはこれよりマシなんだから頑張って!」という言い方は、あまりにも想像力に欠けています。

少なくとも、そういう比較を「障害」というカテゴリーで健常者の立場で行なってはいけません。

するならもう少し多面的かつ論理的にしてもらいたい。


aa氏は理想を持ち込むための妄想力は立派ですが、現実に起きる様々な感情や生き方に対する想像力が欠けています。


ちなみに生まれながらにかなりの障害をもっているぼくですら、明日から急に耳が聴こえなくなったとしたら絶望すると思います。

ぼくは音楽を聴いたり作ったりするのが好きなので、それが突如できなくなるというのはやはり悲しい。

「自分が今までできてたことが突然できなくなる」というのは、相対化できるものではありません。

「もっと重い障害を背負って生きてたんだから今更耳くらいいいよね」とはなりません。


そういう意味で最初からできてたはずの部分を知らない先天の障害者が自身の障害を受け入れやすいというのは間違っていないと思います。

aa氏の理屈でいうと、ぼくは障害者でありながら先天性の障害者を差別していることになりますね。別にいいですけど。

そしてコーコーセーの友達さんがぼくを見下してようが見下してまいが、ぼくはどうでもよいですしそれによって傷つくことはありません。


何よりaa氏が善しとする障害者になりたいと思っているのは、他ならぬコーコーセーの友達さんでしょう。

そうなるための過程として様々な苦悩や苦しみや違和感を抱えるというのが、どうして差別や見下すことになるのかがわかりません。

人に見える形で言うのがダメだというのであれば、aa氏がみなければいいだけの話です。

ぼくからすればあのコメントをみて傷つく障害者のほうがダメだと思います。



ちなみに、実際(リアル)のわたしはaa氏が理想としている障害者にかなり近いと思っています。

多分、会ったらぼくのことを「素敵!」「偉い!」「前向き!」と好きになるでしょう。

しかし皮肉なことに、ぼくが自分がそうしてこれたのは、aa氏のような考えの人間を極力遠ざけてきたからだったりします。



というわけで中身のない批判だったので、こちらも中身のある反論をしようがなかったので、この辺で。