サンプルが少ない

ダフトパンクの新譜は尻上がりタイプ。


まるみえ星人です。

こんにちは。


「まるみえ星人の名前の由来ってなんですか?」


何人かの方から聞かれたので、答えます。


いや、そんなことはほぼ聞かれてないんですが話のつかみとして聞かれたことにしたいので、答えます。




まるみえ星人は友人の弟が小学生の頃につくりあげたキャラクターなんですが、当初これを、ゆるキャラとして売りだそうと友人と画策しておりました。


脳みそがまるみえで、哀愁が漂ってるアンニュイなゆるキャラとして世の中に革命を起こそうと思っていたのが、そもそものはじまりです。




友人も友人の弟も、まさかこのような形で陽の目をみることになるとは、夢にも思ってなかったことでしょう。


「ていうかまるみえ星人てそういう方向性じゃないやん...」


友人からそんな心の叫びが聞こえてきそうです。すいません。





方向性といえば、そうです、このブログのこれからの方向性というか目的ですね。


まあ、本来ブログなんてものは方向性もへったくれもなくて、好き勝手に飽きるまで何でも書いていきゃいいとは思ってるんですが、


ぼくがそれをすると、もう2度と更新しないような気がしてるので、自分なりに毎回テーマを決めて書いていこうと思ってるわけです。


そういうのがあった方が自分でも整理しやすいし書きやすいし。




んで、ぼくは今回の件に限らず前々から、障害者がもっと色んな意見や体験をそれぞれの立場から出していくべきだと思ってるんです。


今の状態だと、世の中的には単純に障害者側のサンプル数が少なすぎて、どこでどう判断していいのかわからないんじゃないかなあと。


障害者と一口にいっても、障害の度合いや環境から、色んな考えや生き方があって、そう簡単にこれは差別かそうでないかと割り切れる問題でもないと思うんですよね。


結局今回起きた問題は、そういう面が強く出たケースなんじゃないかなと思ってます。



なもんで、一部の人に委ねるだけじゃなく、各々が色んな形で、もっと世の中に知ってもらうっていうのは今割と必要なんじゃないかと。



障害者の権利向上とか、そういう社会的な活動に力を入れてる障害者の方などは結構いると思うので、それはそういう方にお任せするとして


ぼくはもうちょっと日常に溢れているというか、健常者にも置き換えれるような切り口で色々書いていきたいと思ってます。


んで、当然のことながらぼくの意見が常に賛同や共感をえれるわけではなし、逆に今度はぼくが乙武さんのように批判されることになる


可能性もないとはいえないし、というかすっげーありそうだし、それはまあとても面倒ではあるんですが、


それでも自分が正しいと思うことを書いていきたいとは思ってるわけです。




ぼくは本来そんな使命感に溢れた人間ではないし「眠い」「だるい」「金ほしい」が口癖の走攻守3拍子揃った怠惰な人間なんで


自分でも向いてないなーとか思ってるんですが、そうすることが自分のためにも、またフラットな社会にもつながっていくんじゃないかなと思っています。



そんなかんじで、今日のところはごきげんよう。

乙武問題においてわたしは障害者の足を引っ張ってるらしい

まるみえ星人です。

いやいや、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームものですよ、これは。

ちなみに6段活用は全て暗記済みです。


もはや乙武氏の話とは関係なく、これはもうわたしの戦いですな。

2013/05/23 12:14
まるみえ星人さん、再生医療が進んで、明日から丈夫な脚を使って生活するのも、慣れ親しんだ車椅子生活を続けるのも、あなたの自由ってことになったら、やっぱり脚を使って生活したいですか?
車椅子生活を辞めれるものなら辞めたいと思ってるんなら、それって健常者に憧れる障害者ってことじゃないでしょうか?
健常者と常識を共有して生活するのは、賢いことだと思いますが、できれば障害者辞めたいと思ってるんなら、まるみえ星人さんは健常者ヅラした、障害者の気持ちも分かんない障害者じゃないんですか?
少なくとも乙武洋匡は車椅子でも不自由を感じたことがなかったから、健常者と同じ視点で行動してたんでしょ。乙武洋匡にしたら、脚で生活しようが車椅子で生活しようが、どっちでもいいと思えてたんでしょ。
今回初めて、脚がないとできないことが分かって悔しい思いをしたそうで、それを今までが恵まれすぎてたからっていうのは、あまりにも健常者じゃないと行きづらいのが当たり前すぎる世の中なんじゃないでしょうか?
私は車椅子でも不自由しない世の中になってほしいと思ってます。不具の人が不具な理由で生きづらい思いをしてほしくないと思ってます。だから、車椅子でも二足歩行でも関係なく暮らせる世の中になってほしいから、せめて「いつか障害者であることを意識しないで生きていけるようになりたい」と、願ってる人の足を引っ張るような意見は表明しないでほしい。


どこをどう読んだらこのような思考になるのでしょうか。

ぼくが足を引っ張る?足を引っ張ってんのはおまえ。

ぼくがいつ健常者ヅラしました?そしてどこをどう読んでぼくができれば障害者を辞めたいと思ってるということになるのですか?



ふざけるのも大概にしてほしいです。


今回誰より障害者、もしくは社会への悪影響を危惧してるのはぼくですよ。

だからこうしておまえみたいなバカにもいちいち対応してるんですよ。


物理的なバリアーがクリアされることが双方の心理的バリアもクリアすることなんて、とっくにこっちはわかってんですよ。

ただ、現実そうなりきってない社会において、障害者側としてどう対処するかを言いたいの。



いっときますけどね、ぼくも生まれつきの障害者で色々不便な思いはたくさんしてきましたけど、

仮に今、生まれ変われるとして、健常者と障害者、どちらか選べるとしても余裕で今のままをえらびますよ。

何勝手に"健常者になりたいけどなれない障害者の媚び"、みたいな方向にもってこうとしてんの?バカだから?


なんかどっかに「「そんな考えではつらくなるのはあなたです、どうか笑顔をつくって生きてください」ような

ことも書かれてましたけどね、アホか。



そして足が不自由だろうが、そうでなかろうが気にせず生きていける社会がダメだなんて一言もいってない。

むしろ、それを目指している過渡期として今回の問題は障害者側の意見を出しとかないといけないと思ったわけですよ。


障害者だからってみんなが細部まで同じ考え方をして生きてるなんて思うほうがバカだろ。



小手先の賢さなのかもしれないけど、理想的な社会を目指す過渡期において、

健常者と障害者の間に生まれる微妙なお互いの感覚のズレとかを

マイノリティ側が微調整しながら、楽しく生きてくってことは間違ってるんですか?



アホか。

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題ラスト

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題
障害者側からみる乙武氏入店拒否問題その2


まるみえ星人です。

誰も見てくれないと嘆いてたら、今度は大量に拡散されて炎上気味になってて、

それはそれでくじけそうですが、がんばって書きます。


とはいえ、ぼくは前回の記事で「障害者の一人としての意見」を表明し、それが拡散されたことで自分としての役割は果たせたと思ってます。

コメントも一応目は通してますが、とても全部には対応できません。色んな意味で。


ぼくも割かし短気で性格もよくないのでコメント欄みてると暴言の1つも吐いてやりたくなりますけども。

コメント欄で「障害者である証拠をみせてほしい。障害者とは思えない」とか言ってるバカがいますが、意味不明すぎて笑えました。

別に顔出しも車椅子に乗ってる姿もこちらは全然出せますけど、ぼくがそうしたらあなたはどうするのですか?

苗字くらい教えてくれますか?知りたくないけど。


ま、これはどうでもいい話です。


乙武氏の件に関しても、これはもうキリがないので今回で終わりにしておこうと思います。


ただ、ぼくはやっぱりバリアフリーな理念と、現在の状況における対応はわけて考えるべきだと思います。


そういう考え方をしてたらいつまでたっても理解は進まないよといいますがね、理念って多くの人がそこに共感し、共有できてはじめて実現するもんですよね。


そりゃ事前連絡なしでいっても快く受け入れてくる社会が良いに決まってるし、健常者障害者双方がそれを目指すべきなのは当然だと思いますよ。


だから当事者としてはそういう理想を夢見つつも、目の前の現実においてはダブルスタンダードに立ち振る舞っていくことも大事なんじゃないでしょうか。


その方がより早く理想の社会を実現する可能性が高まるんじゃないですかね。



そして乙武さんこそ、そういうバランス感覚に優れてる人だと今でも思ってますよ。


今回はたまたま色々悪いことが重なってしまったんだとも思います。


だけど、ぼくの立場では今回のことは、どうしても看過できなかったし困ってたので、批判しましたし、その主張は今でも変わってません。





というわけで今回の件はこれで終わりにしたいと思います。

このブログ自体はちょこちょこ続けていこうと思ってますので、どうぞよろしく。

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題その2

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題

まるみえ星人です。

誰も見てくれないかもしれませんが、くじけず書きます。


乙武氏の入店拒否問題ですが、どうも話がややこしくなってる気がします。

繰り返しますが、障害者の1人として今回の件を「人権侵害」や「差別」にもっていくのは断固反対だし間違ってます。

社会的に、もしくは表面的にはそう扱えるのかもしれませんが、ぼくは当事者なので、そんな建前でこの問題が流れてしまうのは困るのです。


今回、問題にすべきはあくまで双方のコミュニケーションの取り方であって、

重要なのは「予約の時に車椅子であることをなぜ伝えなかったか」なんです。


これが予約の時に車椅子であることを伝えて、それでひどい対応をされたとしたなら、そりゃ間違いなく人権侵害でOKだと思いますよ。

そりゃもうツイッターで名指しでバンバンやって信者総動員で、叩きまくりゃいいと思います。

でも、今回はそうしなかったのに、人権だとか差別だとかになってるのがムカつくのです。


乙武氏によると「事前に確認をとったことがなかったので、そもそもそういう考えがなかった」的なことを言ってましたが、

だとすれば、それはあまりにも相手に対する気遣いとか想像力がなくて、いかに今まで自分が恵まれてたかを再確認すべきです。

いや、恵まれてたのはいいことだと思うのですが、だからこそ「こちらも油断してたね、もうこねーよバカ」で済ませる話だと思います。

店主がどんなに嫌なやつであっても、「確認しなかった」のであれば、それはもうそうするしかないのです。



ぼく自身、エレベータがないようなところに行く場合は必ず事前に何らかの方法で確認するようにしています。

それ自体、苦にもならないしトイレ等の不安とか相手への面倒をヘッジできるし、双方にデメリットなんか1つもないです。

だってお店が忙しい時とかに本来、業務外である「障害者を抱えて登る」ってサービスをお願いするんですよ?

そりゃ事前に確認するのが礼儀ってもんでしょうに。

「そういう考えは卑屈だ」とか「心のバリアフリーがなってない」とかいう問題じゃないと思うんだけどなあ。



また「海外ではこれは人権問題になるよ」とおっしゃてる方もいるようですが、そんな奴には

「おまえ外人がいうことなら何でも正しいのかよバーカ」って言いたくなりますし、

そもそもその人権侵害の対象となる他の障害者がどう感じているかということも無視して人権もクソもないでしょう、と。

ま、それは当事者ではないのでしょうがないんですけどね。

だからこうして自分がちょっとでも人目につくことを期待して書いてはいるんですけど。


今回の件を人権問題にしたら結局本質的なノーマライゼーションなんてものは更に遠くなると思うのですね。


これからしばらく、障害者が来店した場合の店の対応は表面的には良くなるかもしれません。

だとしたら、そのホスピタリティは優しさとか多様性を認めるものからくるのものではなく、

「クレームつけられて店の評判落とされたらどうしよう」という恐怖感からくるものだと思います。


それって良いことなんでしょうか。

逆差別に怯えながら内心腹がたってる健常者と、乙武氏を盾に調子乗りだす障害者を増やすこと以外、なんかあるんでしょうか。

それが「差別しないこと」の結果であるとすれば、そんな本末転倒な話はないんじゃないかと思います。

少なくともぼくは「ああ、なんか変に気使われてんなあ...」と思いながら外食するのは嫌です。



話しは少し変わりますが、より障害者が生きやすい社会を世の中が目指すのであれば、

乙武氏に対するカウンターになれる人が必要だと思うのです。

アンチとかレイシスト的な意味じゃなく障害者の立場でカウンターになれる人が絶対必要だと思うのです。


彼は間違いなく障害者に対する世間のイメージを良い方向に大きく変えてくれたと思います。

ただ、常に彼が正しいわけではないし、その影響力の大きさ故に他の障害者にとってデメリットとなることもあるのです。

今回はそういう面が出てしまったけれども、だからといって乙武氏の全てを叩くというのも間違ってます。


そして乙武氏一人に「障害者のイメージ」を背負わせるのも、間違ってます。

 

 

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題その2

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題

まるみえ星人です。

誰も見てくれないかもしれませんが、くじけず書きます。


乙武氏の入店拒否問題ですが、どうも話がややこしくなってる気がします。

繰り返しますが、障害者の1人として今回の件を「人権侵害」や「差別」にもっていくのは断固反対だし間違ってます。

社会的に、もしくは表面的にはそう扱えるのかもしれませんが、ぼくは当事者なので、そんな建前でこの問題が流れてしまうのは困るのです。


今回、問題にすべきはあくまで双方のコミュニケーションの取り方であって、

重要なのは「予約の時に車椅子であることをなぜ伝えなかったか」なんです。


これが予約の時に車椅子であることを伝えて、それでひどい対応をされたとしたなら、そりゃ間違いなく人権侵害でOKだと思いますよ。

そりゃもうツイッターで名指しでバンバンやって信者総動員で、叩きまくりゃいいと思います。

でも、今回はそうしなかったのに、人権だとか差別だとかになってるのがムカつくのです。


乙武氏によると「事前に確認をとったことがなかったので、そもそもそういう考えがなかった」的なことを言ってましたが、

だとすれば、それはあまりにも相手に対する気遣いとか想像力がなくて、いかに今まで自分が恵まれてたかを再確認すべきです。

いや、恵まれてたのはいいことだと思うのですが、だからこそ「こちらも油断してたね、もうこねーよバカ」で済ませる話だと思います。

店主がどんなに嫌なやつであっても、「確認しなかった」のであれば、それはもうそうするしかないのです。



ぼく自身、エレベータがないようなところに行く場合は必ず事前に何らかの方法で確認するようにしています。

それ自体、苦にもならないしトイレ等の不安とか相手への面倒をヘッジできるし、双方にデメリットなんか1つもないです。

だってお店が忙しい時とかに本来、業務外である「障害者を抱えて登る」ってサービスをお願いするんですよ?

そりゃ事前に確認するのが礼儀ってもんでしょうに。

「そういう考えは卑屈だ」とか「心のバリアフリーがなってない」とかいう問題じゃないと思うんだけどなあ。



また「海外ではこれは人権問題になるよ」とおっしゃてる方もいるようですが、そんな奴には

「おまえ外人がいうことなら何でも正しいのかよバーカ」って言いたくなりますし、

そもそもその人権侵害の対象となる他の障害者がどう感じているかということも無視して人権もクソもないでしょう、と。

ま、それは当事者ではないのでしょうがないんですけどね。

だからこうして自分がちょっとでも人目につくことを期待して書いてはいるんですけど。


今回の件を人権問題にしたら結局本質的なノーマライゼーションなんてものは更に遠くなると思うのですね。


これからしばらく、障害者が来店した場合の店の対応は表面的には良くなるかもしれません。

だとしたら、そのホスピタリティは優しさとか多様性を認めるものからくるのものではなく、

「クレームつけられて店の評判落とされたらどうしよう」という恐怖感からくるものだと思います。


それって良いことなんでしょうか。

逆差別に怯えながら内心腹がたってる健常者と、乙武氏を盾に調子乗りだす障害者を増やすこと以外、なんかあるんでしょうか。

それが「差別しないこと」の結果であるとすれば、そんな本末転倒な話はないんじゃないかと思います。

少なくともぼくは「ああ、なんか変に気使われてんなあ...」と思いながら外食するのは嫌です。



話しは少し変わりますが、より障害者が生きやすい社会を世の中が目指すのであれば、

乙武氏に対するカウンターになれる人が必要だと思うのです。

アンチとかレイシスト的な意味じゃなく障害者の立場でカウンターになれる人が絶対必要だと思うのです。


彼は間違いなく障害者に対する世間のイメージを良い方向に大きく変えてくれたと思います。

ただ、常に彼が正しいわけではないし、その影響力の大きさ故に他の障害者にとってデメリットとなることもあるのです。

今回はそういう面が出てしまったけれども、だからといって乙武氏の全てを叩くというのも間違ってます。


そして乙武氏一人に「障害者のイメージ」を背負わせるのも、間違ってます。

障害者側からみる乙武氏入店拒否問題

どうも、まるみえ星人といいます。

ネットで話題沸騰中の乙武さんの例の件ですが、障害者側からの意見も1つ出しておきます。

じっくり書きたいのですが、色々忙しいのでサクッと。

結論からいうと、今回の件に関しては乙武さんのほうが「いやいや、さすがにそれないわー」という印象です。

生まれつき障害があり、電動車椅子という乙武さんもブイブイいわしてるマシンに近いものに乗っていて、
似たような経験もあるぼくからみても今回のはちょっとお店の方がかわいそうだと思いますよ。

そもそもなんで予約の時に車椅子であることを伝えなかったんでしょうか。
そこがよくわからない。というか意味不明。

2Fのエレベーターもない店にわざわざ食いにいくわけですから、「車椅子なんですけど手伝ってもらえそうっすか?」と確認とるのは、これは障害者側がやるべきマナーでしょう。

乙武さんともあろう方がそこまで意識してないってことはないと思うんですけど。
乙武氏からすれば、拒否されたことよりも、店の対応に腹たったってことなんでしょうけど、そりゃ店主もムカつきますよ。
マナーの悪い奴に気持ちのいいホスピタリティなんかできるわけないじゃないっすか。
ご本人もいってるように小さな店で、てんてこまいになってるとこに不意打ちで総重量100キロの客がナチュラルに「運んでもらえるよね?」みたいなノリできたらムカつきますよ。
人間だもの。

100歩譲って「乙武氏は問題提起して、もっと世の中にバリアフリーについて考えるきっかけをつくりたかったんだ!」という好意的な解釈をしてもこれはきついです。
というかこういうやり方で問題提起しても誰も得しません。
乙武氏のプライドは満たされるかもしれませんが、一般の障害者からしたら普通に迷惑です。
っていうか引いてます。信者は知りませんが。

結局これは障害者差別とかバリアフリーとかいう高尚な話ではなく、単純に乙武氏とお店側のチンケなプライドのぶつかり合いといったかんじだと思うのです。
マジめんどくさいねーしょうもない。